馬久の普通の日記

顔も口も声も大きいけど普通の馬久

メロンパン

 

蔵前から、観音様の裏にある踊りの稽古場へ歩いていく。

 

浅草は子どもの頃は年一の場所だった。大人になって、まさかこんなに足しげく通うことになるとは、思いもしなかった。今じゃ少なくとも週二の浅草。

我が家は毎年ほおずき市に行く家だった。いつの間にか、ほおずきも買わなくなったが、年一のほおずき市は家族で必ず出掛けていた。
子どもの時は、ほおずきの理由も分からず、なんとなく夏の浅草のお祭、屋台沢山のワクワクする日ぐらいにしか感じていなかった。

落語を聞くようになり、「四万六千日、お暑い盛りでございます」の船徳のセリフで、ようやく、ほおずき市の意味も知ったくらいだ。

 

確かにその頃は、浅草にメロンパンはなかった。

 

中学の遠足。これも浅草だった。
中学一年のちょうど今くらいの時期だったと思う。男女3人ずつの班。班長は竹中さんという、おでこのキレイな可愛い女の子だった。

竹中さんとは小学校も同じで、竹中さんと言えば、演劇だった。

学芸会の劇で主役をやる子。
今から思い返しても、我々のレベルを超えて一つ抜きん出た、演技の上手な子だった。
小学校の学芸会で、オズの魔法使いを演ったとき、この竹中さんが主役のドロシー。私は案山子の役(パート毎に区切って、数人でやる)を演らせて頂いたのだか、竹中さんと一緒に芝居が出来たのは今でも良い思い出だ。

竹中さんは中学では、演劇部に入り、芝居に更に磨きがかかっていった。最早普段の会話からハキハキと滑舌が良過ぎて、芝居臭くなってる位だった。

中学三年の文化発表会(通称ブンパツ)でやったお芝居、「変デスとグレーてる」は未だに私の心に残る、竹中さんのお芝居だ。

そんな竹中班長に連れられての中学一年の浅草遠足。ルートも何もかも女子任せ、小学七年生の男の子は言われた通りについていくだけだ。
竹中さんは同い年なのに、まだ子どもだった私から見ても、凄いお姉さんだった。
何と言うか、食レポ、芸人さんとのコント、トークも出来る、バラエティタレントみたいだけど、本業は女優みたいなイメージ。

お昼ご飯は今ふと浅草を歩きながら、思い出したのだが、並木の藪そばだった。

あぁ、あの時既に食べてたんだなと、今になって気がついた。


その頃も、やはり、浅草にメロンパンはなかった。

 

せっかくだからと、一つ買って食べてみる。
美味しいけれど、普通の大きなメロンパン。

ふと、見ると店員さんの名前のプレートに竹中の文字。

あぁ、青春の浅草メロンパン。

 

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おしまい。

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